今年からは取りかからなければならないこちらの分野。
仏教美術史のフィールドワークによる研究で著名な先生ということで
鬼門とさえ感じていたんだけど・・・。
まさか自分の専攻で
「仏像の羅髪が気持ち悪くて苦手です。ましてや、
古くなって所々抜け落ちてたり、はげてたりすると・・・。
全てをあきらめたくなります。コレが悟りでしょうか」
とは云えないし。
仏教美術に用いられる唐草文様の意味をフィールドワークから徹底的に洗い出し、
・・・その名のとおり、泥の蓮池に入って探したりもしたそう。
水中から旺盛なエネルギーを発して生えだす蓮のイメージ、古代インドの民俗思想、
そこからシルクロードを経由し、荘厳表現の重要なモチーフとして
日本にまで伝播して来た。
確かに蓮や睡蓮といった南国の水棲植物の水中で蓄えたエネルギーの(物理的な)
ものすごさは、実際に育ててみて、夜中にうなされそうな程実感した。
・・・これはフィールドワークの実践として一単位にしてはもらえんだろうか。
また、
満瓶・・・水が満たされた壷から溢れ出るように成育した蓮葉の表現
確かに、成長して自ら割り出れるように泥鉢に埋けてやらないと
鉢の上からむくむく根がふくれあがり、モスラみたいになってしまう。
コレも実体験済だ。
いずれも、水中は、蓄えられ満たされたエネルギーの源として考えられており、
その象徴化したものが唐草文用での表現。
インドの神殿遺跡の障壁彫刻に神獣の半身から下がそのまま唐草文様になっている
フレームのシンメトリーな表現など、あれは今正に、生命のエネルギーから
神獣が生まれ出る、「神獣なまなり状態」と。
すげえ。着地が凄すぎる。
日本史学などの他の史学での、資料と数値からの立証と
美術史論での鑑賞力と発想の飛躍。
当分このギャップに翻弄されんだな。
講演1:「唐草文様のひみつ─インドから日本へ─」
講師:安藤 佳香(本学文学部教授/専門分野・仏教美術史)
講演2:「聖なるものの姿─チベット仏教美術の技法─」
講師:小野田 俊蔵(本学文学部教授/専門分野・チベット学、チベット仏教学)
特別対談:「成熟した文化の地チベット」
講師:渡辺 一枝(作家)×小野田 俊蔵
佛教荘厳の研究-グプタ式唐草の東伝-