2006年3月9日木曜日

屋根裏の養老院

SHINJUKU LOFT 30TH ANNIVERSARY
“ROCK OF AGES 2006”


フラグが立つミュージシャンが重なりに重なったので参加してまいりました。

イベントメニューをさーらーっとみると、とうとう養老院と化したのかと
驚くような面子で、気になるのをピックアップしてくと毎週新宿に通うことになる。
負けちゃ行けない。
10年一区切りで、彼のミュージシャン達が順に出演していく企画だそうで。
なるほど。ここまでの面子を揃えられるのはやはり新宿LOFTだからなんでしょうね。
爆音がここちよし。

この日もミュージシャンだけでなく客層もおっさんばっか。
つまり、お子さまだったころ背伸びして観に行っていたシチュエーションまで
味わえるってわけ。
慣れたふりして内心びびってて。
そう、西口だったころは、ミュージシャンもお客さんもみんな年上だった・・・。

あんな小さな箱で腿くらいの高さのステージで、でもその上に立つミュージシャンは「神」。
ライブが終わって裏口から出て来たミュージシャンが夜風にあたってる姿は、
ふつーに白いガードレールに座ってるだけなのに、近寄りがたくて敬意を払うべき対象だった。
知り合いのだけの輪が楽しそうに話をしてる光景は憧れだった。

差し入れを口実に近寄ってみたり、
それを繰り返して行くうちに少しは憶えてくれてたり。
※こーゆー女子の行動が化粧バンドという分岐を作ったんじゃないかって気もして
少し反省しつつ。結果おーらいですが。
通ううちに自分が見る定位置とかできてきたり。
お客さんの中にかっこいいネーさんを見つけては、服装や仕種を真似したり
たばこすってみたり。
真似してハクつけたつもりになって、髪型やファッションなんか、
どう見てもそのハコのなかでしか成立し得ないセンスで、
たとえ新宿であっても当時では駅を歩いても浮きまくり。そりゃそうだよな。
そんな異端を見る目への反骨心とハコに入れば得られる仲間意識で
ろっけんろーとpunksはなりたってたのか。うそです。ごめんなさい。

ライブが終わると階段から出口まわりにズラーッといるビラ配り。
ビラですビラ。当時はフライヤーなんてことばもございませんでしたから。
そのビラをみてはいろんな企画がつぎつぎあって、一番すきなバンド以外にも
いくつもかっこいいバンドがいてチケット代と遠方から通う交通費でいつも貧乏。
午後の授業の単位も貧乏。金も時間も欠乏したサラリーマンのような十代。
この身を削った重さで勝負。やくざみたいだ。

「ヤ」さんといえば、新宿はメッカ。
そのうち路上で、ノルマのチケットを手売するのも危険になってきたりしてたようで、
友達のバンドの手伝いをしてたときに気をつけるように注意されたことがある。
路上で茶封筒から現金の受け渡しをする。
今思えばはた目からはかなり危険なシーン。
取り引きの物がなんであれ現金のやり取りを路上でやっていることじたいが「や」さんから
すれば「勝手にそこでやらないでください」の対象なのにそんなことさえちっとも
恐さをしらないおぢょーちゃん。生きててよかった。

そんな無神経な子供達のおかげも手伝ったか、当時のハコは時代の流れに合わせて
なんどか移転と閉鎖の噂がながれたりすることもしばしば。
その度ミュージシャンやお客さん達ががんばって維持を唱えて企画ができたりしてたな。
本当は、loftにしたらあんなとこ恐いからもうどっか引っ越すか閉めたいんじゃ無いのかなーと。
ちょっとおもったりもしたことあったな。もっかいごめんなさい。

隣人とのクールな関係。シミル目とぎとぎとのフロア。
人並み以上のアルコールと漠然とした憂い。
履き込んだブーツとギターのソフトケース。
キツいメイクと別珍のリボン。
あの時代を知っていることが優越感かも。