2008年8月31日日曜日

北斎がみた黒富士

北斎は毎朝必ず、その日1日の厄災払いのために唐獅子の画を書いてから、その日の仕事を始めたという。












先の東博で出展されていた蕭白の仙人図屏風のまえで若いおにーさんが、
「この波は、北斎とこの、蕭白とどちらが先に描いたんだろう」と連れの彼女に言っていた。
すごいっておもった。
先にその二人の画家のバックグラウンドを知らないで、あの屏風を見たときに、私にその発想ができただろうかと思ったら、ちょっと心が寒くなった。

たいがいのものを先に画から知って、
実物を目にしたときに、「ああ、画家はこの瞬間を目に焼き付けて描いたんだ。」
というフラッシュバックがほとんど。

葛の蔓が冷まされた風に流れるように吹かれる一瞬や
凛とした音が鳴りそうな銀の満月に気がついてきた。















今日もそれだった。
夏の積乱雲というのではないが、不安定な大気、
不気味な竜巻上の数本の雲柱の向こうに黒富士を見た。
遠雷の音と異をして光る稲妻。

本当に富士が黒く見える事ってあるんだ。





葛飾北斎
「凱風快晴」
「山下白雨」