2009年8月12日水曜日

げーじつの秋がはじまる


にわかに忙しくなってくる。
放蕩三昧だ。

レポート1本、デスクに向う度に、
「これ、下書き・・・」と、
いったいどんだけ立派なリポートを書く気なのか、
ワープロ打ちしてみたり、手書きしてみたり。
「これ、下書き。もう、いい加減、次は本腰いれて書こう」
明日っからダイエットするのか、明日は書き上げるのか。
ほとんどレベルがいっしょだ。

それを理由に出不精になっているような気がして、
無理矢理上野へ出向いたところ、こんなものを見つけてしまう。


いや、無理矢理東博へ行った訳ではない。
平常展も観たかったし、なにより、芸大美術館が重要だったんだった。
そうだ。そっちが先だった。


蕭白の柳下鬼女の失われた鼻先のイメージが出来るようになるまで、
訓練のごとく、通う事にしている。
芸大コレクションの鑑賞(観察)はほとんど年中行事だ。

芳崖の悲母観音は、今回は一寸感慨深い。


一気に読み上げてしまった。
久々にページの右上を小さく折り曲げる「印付け」が何カ所もされている。
あとで絶対にもう一回触れてみたくなるから、その時の為のしるしだ。
天心が法隆寺・夢殿の秘仏、救世観音像を
調査協力の名の下、開帳させるくだりは、
今読返しても鳥肌が立つ。
涙を浮かべているのはフェノロサだけではない。
私は通勤電車でしゃくり上げそうになっている。

龍池会でのフェノロサの演説の翻訳問題などには
触れられていなかったのが少し残念だったかな。
まして、しこたまボストンへ運ばれた
名品の数々の理由が余計に分からなくなる。

天心の今際の際のせつなさは、戦国武将が落ちて行く様を思わせる。
彼らの日本美術振興へそそぐ、尽きない熱の激しさは、
他に顧みるものなどあり得ない。地位さえツールだ。
九鬼と天心の関係を当の二人がどう思っていたかなど、
どれだけ人が研究をしても、本人たちすら語る事など不可能なものなんだろう。

あんまり感動したので、
何の時節でもないが、追悼の意を表して五浦に行こうかと思ったが、
ものすごく遠いので今回は遠慮した。

2009年7月4日(土)~8月16日(日)
東京藝術大学大学美術館