にわかに忙しくなってくる。
放蕩三昧だ。
レポート1本、デスクに向う度に、
「これ、下書き・・・」と、
いったいどんだけ立派なリポートを書く気なのか、
ワープロ打ちしてみたり、手書きしてみたり。
「これ、下書き。もう、いい加減、次は本腰いれて書こう」
明日っからダイエットするのか、明日は書き上げるのか。
ほとんどレベルがいっしょだ。
それを理由に出不精になっているような気がして、
無理矢理上野へ出向いたところ、こんなものを見つけてしまう。
いや、無理矢理東博へ行った訳ではない。
平常展も観たかったし、なにより、芸大美術館が重要だったんだった。
そうだ。そっちが先だった。
蕭白の柳下鬼女の失われた鼻先のイメージが出来るようになるまで、
訓練のごとく、通う事にしている。
芸大コレクションの鑑賞(観察)はほとんど年中行事だ。
芳崖の悲母観音は、今回は一寸感慨深い。
一気に読み上げてしまった。
久々にページの右上を小さく折り曲げる「印付け」が何カ所もされている。
あとで絶対にもう一回触れてみたくなるから、その時の為のしるしだ。
天心が法隆寺・夢殿の秘仏、救世観音像を
調査協力の名の下、開帳させるくだりは、
今読返しても鳥肌が立つ。
涙を浮かべているのはフェノロサだけではない。
私は通勤電車でしゃくり上げそうになっている。
龍池会でのフェノロサの演説の翻訳問題などには
触れられていなかったのが少し残念だったかな。
まして、しこたまボストンへ運ばれた
名品の数々の理由が余計に分からなくなる。
天心の今際の際のせつなさは、戦国武将が落ちて行く様を思わせる。
彼らの日本美術振興へそそぐ、尽きない熱の激しさは、
他に顧みるものなどあり得ない。地位さえツールだ。
九鬼と天心の関係を当の二人がどう思っていたかなど、
どれだけ人が研究をしても、本人たちすら語る事など不可能なものなんだろう。
あんまり感動したので、
何の時節でもないが、追悼の意を表して五浦に行こうかと思ったが、
ものすごく遠いので今回は遠慮した。
2009年7月4日(土)~8月16日(日)
東京藝術大学大学美術館