2009年7月15日水曜日

早起きは三門の徳

石原裕次郎何回忌だかの曹洞宗僧侶120人の読経は
時勢のトレンドを外れたバブリー感に、その異様さを忘れさせられたが。


気持ちのよいぴーかん。強風だけど風はさらっとひんやりしていてよい日です。
建長寺のお施餓鬼さんにいってきた。
強風に耐える野外儀式用の蝋燭がある事を知った。(たぶん)
8時半と聞いていたけど、8時少し前に到着したら
既に準備完了の梵鐘が鳴っている。管長登場にはまにあった!
総勢40名くらいはいたろうか。
そろっていはいるけど、わりとマイペースな感じで変わったお経が読まれてる。
声明とはまた違って、こちらの方が耳障りがよいかも。
この手の行事は京都も鎌倉も同じく、
不況知らずのカメラ爺たちがフル装備で陣取る。
この方達が今ある日本を担ってきた立派な方達だ。
彼らのシャッター音の変りに私が手を合わせておきます。
管長がありがたくも新しい動きをする度に感動のシャッター音。
順番的には私よりも貴方たちが先に手を合わせる必要があるのではないのでしょうか。
この中に、いつも私の御朱印帳を書いてくださる青木さんは
いてはるんでしょうか。
みなさんすこしずつ違った着こなしがあって、実は雅。
お沓は決まりもののようです。階位毎。
フィットサイズのマイシューズではないようで、歩きにくそう。
よく、いつもとは違うお経なのに集中して読めるな。と関心。
管長だけ赤。
階位で色が異なる袈裟。
さわやかで絹にも見まごうようなしなやかさが美しいけど、
よーく近くで見ると、本当に受け継がれて使用していそうな、
経年で痛んではいるけど丁寧に、大切に扱われ続けて来たのが分かるものを
着用している方がほとんど。
大徳寺の聚光院、衣鉢の間の虎の親子を思い出す。
聚光院は松栄、永徳親子の合作でなる障壁画群を備える。
衣鉢の間は松栄の竹虎図。
師から弟子へ衣鉢を受け渡す部屋に親子の虎が施されている。
建物の奥の、その小部屋で行われる儀式の美しさを思う。
その後、ここまで来てさらーっと帰れない質なので、
半僧坊へ昇る。
この時期に富士山が見えるのは珍しいんです。と職員の方が
教えてくださった。
しかもひとりじめ。ありがたや。
半僧坊への道すがら、寒山拾得の碑が出来ているのを見つけて
より、楽しくなる。石像にすればよかったのに。